言葉にできない大切な想い、

これまで歩まれてきた軌跡。

今在るあなたの魅力を

世の中に届けることが​私の使命です

 

はじめまして。

この度は弊社のHPをご覧いただきありがとうございます。

KLACHIC株式会社 代表/セールスライターの金田貴美と申します。

あなたがこのページに訪れてくださった理由は、集客にお金をかけて

いてもなかなかうまくいかない。求人に力を入れているが、求めている

人材が集まらない、社内マネージメントや人材教育で困っている。

動画を自社で取り入れたいと考えているけれど何から始めれば良いか

分からないなど、今直面している問題をなんとかして解決する方法は

ないか模索されているなどの理由かもしれません。

​たまたま何かの検索でひっかかったのか、もしくは私という人間をどこかで知ってこのページを見てくださっているのかもしれません。

 

理由は上記のどれだとしても、もしあなたが世の中の一人でも多くの人に知ってもらいたいと思うほどの情熱や、信念をもたれている誰にも負けない’’何か’’があるのなら、私はその想いをカタチにし、世の中に届けるお手伝いができるかもしれません。

その理由をお話する前に、私がなぜセールスライターという仕事を選び、会社を経営することになったのか。その経緯をお話しさせてください。

順風満帆だった人生から一転、地獄をみた海外生活

私は幼少期からずっとクラシック音楽をやってきました。高校そして憧れていた大学にも合格、海外留学の夢も叶い、順風満帆に生きていました。そして何の疑いもなく、私はずっと音楽で生きていくものだと確信していました。

 

あの日が来るまでは......。

 

大学を卒業しロンドンに留学をしていたある日、自分の声がおかしいことに気がつきます。もともとあまりスランプ(不調)などがこないタイプだったため、珍しくスランプがきたのかなと軽く思っていました。数日数週間経っても何か少しおかしいので、こういう時は無理に練習をしないほうがいいと思い、しばらくの間、練習をストップしました。ただ、クラシックの世界では、1日休むと3日分の遅れが出ると言われるように、1日でも練習をしないとどんどん後退してしまいます。何年も毎日ずっと続けてきたことをストップすることの恐怖と不安が襲ってくるので、我慢できず声を出したりを繰り返しました。それでも一向によくならない状態......原因がわからない自分の状況に、苛立ちと不安でいっぱいでした。

それから数週間、数ヶ月と経ち、色々なことを試してみました。あらゆる本を読んで発声をやり直したり、本当に何も歌わないという過酷な日々を過ごし我慢してから、習いたてのように発声をし直したり。色々なワークショップに参加して先生に相談してみたり。ですがその頃の声が戻る気配どころか、状態は悪化するばかり。次第に自分の声を聞くことすらストレスになり、歌うことが恐怖になり、一向に改善しない声と同時に身体的にも精神的にも追い詰められていました。なぜこうなったのか、どうしてこんなことになったのか。どうやったら声を取り戻せるのか。声だけ戻ってくれたら何もいらない。神にもすがる思いでした。私には音楽しかないのに......。音楽を失ったら、何もない。何にもできない。何の取り柄も魅力もない人間だから、いっそのことこんな人生なら死んでしまいたい。声のことを考えるたび、毎日死にたいと思う日々が続きました。でもそこで目に浮かんだのは、遠く離れた国で私のことを応援してくれている両親の顔でした。きっと私が日本に帰る日のことを楽しみにしていて、私の演奏を聴く日を楽しみにしてくれている。そう思うたび、余計に胸が苦しく、悔しさと悲しみで張り裂けそうでした。

私の人生を変えた恩師との出会い

​実は私がここまで音楽にこだわるのには理由があります。それは、高校時代の恩師との出会いでした。

私は3人兄弟の真ん中で上は兄、下は妹。滋賀県の田舎で祖父母同居の中で育ちました。祖父が事業をしていたこともあり、とても厳しい環境下で育ちました。いつも家族揃って夕食をとるのですが、いつも会社の経営の話ばかり。小さい私たちにとって苦痛の時間でしかありませんでした。笑う姿を見たこともなければいつも自分にも他人に対しても厳しく、曲がった事や怠惰な事は許さない祖父でした。祖父はいつも私たちに、これからの時代はもっと厳しくなる。だから女の子であっても手に職をつけなさいと常々言っていました。

 

それは戦争で弟を失い、自分自身も片肺を失い生きるか死ぬかという過酷な体験をしている中で生き延び、見知らぬ地で生きるため、必死で家族を守るために事業をしてきた祖父だからこそ、世の中の厳しさを私たちに教えてくれていたのだなと、祖父が亡くなり大人になった今では理解できます。

 

小さい頃は兄弟の中で兄と妹は勉強ができ、いつも科目で学年トップを争っていましたが、私だけは可もなく不可もなくという特に特徴のない子供でした。その中でたった一つ、二人に勝ったものは音楽でした。中学3年になり高校進学を考えていた頃、ずっと音楽科に行きたいという想いがありました。

 

ただ音楽科は県に一つしかなく一クラスのため倍率も高く、学区外からも優秀な人が受けにきます。もちろんただ行きたいという強い気持ちだけで通用するような世界でないいうことは分かっていました。それでもどうしても音楽科に行きたい。その気持ちを諦めることができませんでした。そこで、どうにかして音楽科に進学するために友人のピアノの先生に相談したところ、「今のピアノのレベルでは正直、受かるか受からないかどちらとも言えない。だけど、音楽科ということにこだわっているのなら、専攻を歌にするという選択肢があるよ」と。

 

音楽科の受験には、専攻科目とは別に、副科や聴音、視唱などといった他の科目も必須になります。ですから、専攻がピアノでも歌がありますし、専攻が歌でもピアノがあります。先生は、「どうしても音楽の道に進みたいというなら、ヴァイオリンやフルートなどの楽器を今から始めるのは現実的ではないけれど、歌なら今からレッスンを受けて頑張れば間に合うかも。」と言って知り合いの声楽専門の先生を紹介してくださいました。そこから声楽のレッスンに通うことになるのですが、その先生は私の声を一言聞いただけで、どんな声が出るようになるか分かったようで、受験までの短い期間でできることをレクチャーしてくださった結果、無事合格することができました。

 

音楽科では、年に2度、音楽の公開試験があります。先生や全生徒達の前で課題曲と自由曲を発表するのですが、もちろん結果や順位もわかります。前述の通り、私は入試のためだけにとりあえず調整してまぐれ同然で合格したような人間ですから、幼少期からずっと取り組んできた人たちと比べて明らかに実力は劣りました。念願の音楽科に入れたものの、結果は最下位。こんなはずじゃなかった・・・。その想いと同時に、恥ずかしさ、そして歌なんて最初からやりたくなかったんだ、という気持ちが湧き上がってきて、そこからレッスンに行くのも嫌で、練習などまったくしませんでした。もちろん最下位ですから、そうなるとどんどん実力差は開いていくもの。次回の試験でもご想像通り最下位。同級生・親友と言っても皆ライバル。その都度、哀れだなと思われているに違いない同級生の視線が突き刺さりました。

 

そんなある日、レッスンに行ったところ、先生が突然「もう帰って良いですよ。」と一言おっしゃりピアノの蓋を閉められました。私は訳が分からず先生に、「どうしてですか?」と尋ねました。そうすると、「あなたがやりたくないことを、いやいややっていても仕方ないから。歌が嫌なら他の科目に転向することもできるから、他にやりたいものがあるなら、それを頑張ってみなさい。」私はその瞬間心臓を掴まれたような苦しみと同時に、ハッとしました。私はただ、「はい。」としか言えず、その場を立ち去りました。

 

本当はとても悔しかった。だけど、何もできない自分の不甲斐なさに苛立ち、歌や他のもののせいにして、自分からずっと逃げていたことに、先生の言葉でようやく気がつきました。先生の生徒は、私を除いてこれまでずっと成績が1番の方ばかりで、そんな先輩方と同じ先生に習えることが嬉しかったし、普通ではありえないことでした。なのに私は、先生の顔に泥を塗っただけでなく、本当に失礼で情けなく、恥ずかしいを通り越して自分が本当に許せませんでした。

 

どうすればいいか1日中考えました。そして、次の日から私は、今自分にできることから始めよう。最下位でも仕方ない。地道に頑張れば、卒業までに1つでも順位が上がるかもしれない。とにかくそこを目指してやってみよう、そう思いました。その時は、ただただ、これ以上先生に私のせいで恥をかかせたくない、お母さんを悲しませたくない、それだけでした。

 

そうやって半年が過ぎ、恒例の試験がやってきました。私は試験の日が来るたび嫌な思い出を思い出すので緊張のあまり声が出なくなるのはないかと不安でしたが、どうせ最下位なんだから、これ以上落ちることはないと自分を励ましながら試験に臨みました。ステージのライトが眩しかったおかげで、みんなの顔はほとんど見えませんでした。歌い終わった後、私はちゃんと歌えたのか、どうだったのか覚えていません。ただ友人達が私の元にすごい勢いで駆けつけて、「感動した」と涙を流してくれました。私は意味が分からず、「ありがとう」と言って教室に帰る時々で本当にみんなが声をかけてくれたんです。「感動した!勇気をもらった、本当にありがとう」と。

 

私はこの半年間、一人こもって練習をしていただけで、周りも何も見えていませんでした。それが今日という日に初めて、私の歌で感動して泣いてくれた人がいた。勇気が出たと言ってくれた人がいた。こんな風に少しでも誰かが喜んでくれたり、何かのきっかけになったり、悲しんでいる人を笑顔にできたらどんなに素敵だろう。

 

試験の結果は1位。最下位から1位になるなんて、これまでなかったと担任も驚いていました。その夜、結果報告のために先生の家に電話をしました。先生は結果を言うまでもなく、「良い結果だったでしょう」と。すべてお見通しだったようです。私のような不出来な人間のことを見捨てずに信じてくださった先生のおかげで私は変わることができました。先生との出会いは、これまでの私の人生最大の出来事であり、一生感謝してもしきれません。私も先生のようになりたい、もっと歌をうまく歌えるようになって、多くの人に音楽(歌)を通してメッセージを届けたいという思いが強くなり、そこからは音楽の世界に没頭していきます。そして、高校入学時には夢にも思わなかった大学、憧れの大学にも合格することができました。人より努力したかと言われたらわかりません。ですが、自分のためにではなく、誰かのために成し遂げたいことがあった、誰かのために叶えたい夢があった。そう思ってやったことは結果自分のためになっていたこと。逃げず諦めず地道にやることで夢が叶うことを、私は身をもって知りました。

 

どんな事でもそうですが、楽をしてできることなど何もない。ある一定期間、辛い時期があるけれど、それを乗り越えた先に本当に素晴らしい景色が見えること、またその景色を見たいから人は頑張れる。つらいときにはいつもあの頃のことを思い出すと、不思議に心が安らぎ強くなることができました。

そんな経験があるからこそ、私は音楽を絶対にあきらめたくなかった。なぜなら私には音楽しかなかったからです。

 

 

ロンドンの話に戻りますが、声を失い悪化する状況から数年が過ぎ、私は次第に自分のことを受け入れるようになってきました。ですが、そこで音楽をやめようとは思いませんでした。もう昔のような声は出ないし、歌は歌えないかもしれない。だけど、自分の声は自分が一番よく分かる。だったら、まだ残っている声、出せるところでわずかに光るところを人に届けよう、そういう歌、曲を作ろうと思いました。作曲などやったこともなくゼロからのスタートでしたが、微かに見える希望があったことだけが、自分の心の支えでした。そこからはクラシックにこだわらず、発声も気にせず、新しい自分の音楽を作ろうと決め、バンドも組み、ライブ活動もし、CDも出したりと活動の幅を広げました。そのおかげでロンドンという街が大好きになり、今でも第二の故郷だと思っています。地獄を経験したけれど、そこから這い上がることができたこの街は、私の人生にとって忘れられない場所です。

地獄からの復活、人生2度目の転機

日本に戻った私は音楽の仕事をしながら曲作りなどもしていました。帰国から数年後、音楽だけをやってきた私に2度目の転機がありました。音楽の仕事の一つに、結婚式で歌を歌う仕事もやっていたのですが、その会社から、新しい部門を作ることになったから、その部門を任せたいと言われました。それは、私がずっと憧れていたリッツ・カールトンホテルはじめ、有名な式場に関わる挙式・生演奏部門の統括の仕事でした。音楽以外のことはやったことがほとんどなかったので私にマネージメントの仕事なんてできるかなととても悩みました。そこで父に相談したところ、「お前は兄弟の中で自分が劣っていると思っているかもしれないけれど、他の誰よりも人の心がわかる子だから。そんな素晴らしい機会をいただけたのだから、やってみなさい。」と背中を押してくれました。またリッツ・カールトンのサービスを身につけられる絶好のチャンスでもありましたので、お受けすることにしました。

ブライダルの現場では、常に新郎新婦に寄り添い、お二人のことを最優先に考えて仕事をしています。一言で新郎新婦と言っても、みな生まれ育った環境や家族構成、価値観、結婚式に対する想いなど、すべてにおいて十人十色です。

お二人がどんな想いでこれまで歩んでこられて今日という日を迎えられたのか。言葉にされない新郎新婦の想いをカタチにして、お二人の大切なゲストに届けることがブライダル業界に関わるスタッフの使命であり喜びです。

例えば、

・お二人の魅力を最大限に引き出し、一番美しい姿を撮りたい

・お二人の言葉にならないゲストへの気持ちを代弁したい

・お二人の思い出の曲をかけたりサプライズ演出で喜んでもらいたい

・記念に残る写真を残したい

・今日のサービスがお二人と大切なゲストのための最高のものにしたい

・忘れられない感動の味を提供したい

等々。

そのすべてが人の想いを届ける姿勢が重なり合って始めて素敵な結婚式になります。そして何より新郎新婦の嬉しそうな姿は、私たちも本当に幸せな気分にさせてくれますし、何千何万組と重ねても、その一瞬一瞬の感動は今でも忘れることはありません。すべてはお二人の一生の思い出になる日にしたい。そんな想いがあるからこそ、最高の結婚式になるように常に新郎新婦お二人にとって最善とは何か、何を求めていらっしゃるかを考え、寄り添い行動しています。

 

その経験があったからこそ、私は自分が音楽を演奏することだけでなく、お二人の想いを汲み取り、希望にあった音楽プログラムを組むこともそう、演奏者の特徴を活かせるキャスティングを考えることもそう、新郎新婦やゲストの希望を叶えるための新たな提案を考えることもそう、一つ一つに意味があるのだということを知りました。そしていつしか人の気持ちに寄り添い考えることは、すべてに業界において必要不可欠ではないかと考えていました。そこで私が音楽の域を超えたところで、自分が社会の為にできることはあるだろうか。

 

そう思い、休日や仕事以外の時間を使ってマーケティングの勉強をしていたときに、セールスライティングというものを知りました。もともと私自身、自分の想いを言葉で伝えるのが苦手な人間だったので、音楽や書くことで伝えることを得意としていたこともあり、私と同じような芸術家や職人さん、そして本当に素晴らしい作品を作り続けている企業や人、ものをもっと世の中に届けたい、そう思うようになりました。そして半年後、10年間映像(動画)コンサルティング会社を経営していた兄が家業を引き継ぐことになり、そのタイミングで兄の事業を引き継ぎ、そして自らの会社を起業しました。

 

セールスライティングとの出会い、そして今

起業をしてから出会った社長さんや店舗のオーナーさん、士業の方達の中には、素晴らしい技術や才能があるけれど、自分の魅力を伝えることにおいては不器用な方も多くいらっしゃり、「こういうことをしたいんだけど、どうすればいい?」「大まかにはこういうことを伝えたいんだけど、うまく書けないんだ。どうやってうまく言葉でまとめればいいかな?」などと相談をいただく機会が増えました。そこで私は、彼らが何を大切にしているか、また何を考え、何を伝えたいのかを知りたくて、気が済むまで知ろうと思い、彼らの立場を理解するためにその仕事を一つ一つ理解することから始めました。すると、最初は「どうせ言っても分からないかな」と思われていた態度が、だんだんと変わっていくのがわかり、次第に自分たちのパーソナルなことまで相談してくださるようになりました。人の想いや会社のことを知るために、たった一度や二度のミーティングで知れることはたかがしれています。人付き合いでも同じ、友人、親友、家族、恋人、近しい人との関係を築くまで、あなたはどれくらいの期間を要しましたか?もちろん期間は関係ないと言う方もいらっしゃると思います。ですが、本当に心の中の想いや、これまで歩んでこられた軌跡を知るだけでも時間はかかります。またそれを知らずして、本当にその方達の想いを世の中の人に正確に伝えることができるでしょうか。本気でビジネスをしている方々に対して自分も本気で接することが礼儀であり、またそうでなければ私の仕事は成り立たないと思っています。

ある店舗オーナーの方の想いを文章にしたことがありました。その方には自分の想いを伝えたい方がいたのですが、伝えたいことが形にならないもどかしさを感じているのをなんとかしたいと思いました。そこで私は、これまで関わってきて色々話してくださった彼の言葉や、言葉にならない想いの内、これまでの彼の歩んできた軌跡を書いてお渡ししました。するとそのオーナーは「自分がこれまでやってきたこと、そして考えていたこと、言葉にできない想いを自分以上に理解して形にしてくれた。本当にありがとう」と言ってくれました。その文章は、彼がかつてから憧れていたその業界で権威のある評論家の方へ送るメッセージでした。自分では文章がうまく書けず、どうすればいいか悩んでいると相談を受けていました。結果、ダメ元でもいいと送ったメールでしたが、その評論家の方から返事がきたんです。そこには、「毎日何十何百通と事務所にメールが届くので基本的にはほとんど最後まで読まないし(読みたいと思えるようなメールはほぼ来ないし)、読んだとしても返事することはないんだけどね。あなたの熱意と想い、そして僕にこのようなメールをくれたあなたにぜひ会ってみたくなりました。今週末伺います。」と書いてありました。

その例にもあるように、本気で注げる情熱、信念、想いを持っている人の想いは、届けるべき人の元へ届くべきだと思います。そしてそのお手伝いができるのがセールスライターという仕事だと私は思っています。

セールスライターは、多岐に渡ります。

コピーライターのようにキャッチーなタイトルを考えたり、LPやメルマガなどの文章を書いたりすることはもちろんのこと、インターネット上でターゲット向きの提案をする営業担当者のような仕事をしたりもします。例えば、オウンドメディアの構築や動画を使ったプロモーション。ブランディングに関わる仕事やオフラインでのチラシやDMを作ったりとデザイン関連の仕事。時に人材育成に携わり、企業様のマニュアルを作ったり、経営戦略を考えるコンサルタントの仕事も含まれますし、企業理念の言葉をより多くの方に伝わるように考えることもあります。あなたがいくら素晴らしい人であっても、いくら素晴らしい商品を作っていても、知ってもらわなければ意味がありません。そして魅力の伝え方を間違えれば伝えたい人に伝わりません。

セールスライターという仕事は、世の中に溢れている本当に素晴らしい人や物、そして会社の魅力を発信し世の中に広めることができるスキルであると同時に、世の中のまだ埋まっている宝石を輝かせるお手伝いができる仕事です。自分という人間が、誰かのためにできることがあるのだと教えてくれたセールスライターという仕事を通じて、次は私が誰かの為に恩返しをしたいと思っています。私を救ってくださった恩師の方々のように。

クラシックと共に生きる

KLACHIC(クラシック)という名前の由来ですが、LA CHIC(ラシック)とはフランス語で、《粋で上品で洗練されているさま》を表す言葉からきています。

また、日本語の「らしく」という言葉の響き通り、「あなたらしく、わたしらしく」という造語でもあります。

世界中には溢れるばかりに素晴らしい人や物、企業やお店があるけれど、その魅力を伝えるべき人たちに届いていないことが理由で継続できなくなることも少なくありません。だからこそ、それぞれが自分らしく生きられる、在り続けられる世の中を作るためのお手伝いをしたいという想いでこの名前をつけました。

 

また、Kをつけて「クラシック」としたのは、わたし自身が幼少期からクラシック音楽をやってきていたこと、その経験が今でも生きる糧になっていること、イニシャルのKKとかけて自分らしさを大切に生きていこうという想いから、KLACHIC(クラシック)としました。

先ほどのブライダルの話にもある通り、みなさんの大事にしていることは十人十色です。

 

その想いを世の中に届けるためには、本当に心からその方の立場になって一緒に考え、寄り添い、悩みを分かち合う。その上で、どんなことができるのかを提案し、一緒に進んでいける同志のような、あるときは家族のような関係性であるのかなと思います。もちろん、私のご提案が100%うまくいくという保証はありません。ただ一つだけお約束できるとしたら、今自分ができること、出せる最大限を尽くしたいと考えています。

この出会いが、少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

 

 

KLACHIC 株式会社

代表 金田 貴美

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